Alice’s spell
夕暮れ時はお茶会時。 ハートの城でのお約束とも言える夕暮れ時の女王ビバルディのお茶会に、今日はお客が一人いた。 スカイブルーのエプロンドレスの少女、アリス=リデル。 ビバルディお気に入りの『余所者』である彼女は、誰もが恐れるハートの女王とテーブルを挟んだ向かいにいてもまったく構える様子もなく、極上の紅茶を口に運んでため息を一つついた。 「なんじゃ、辛気くさいため息なんぞつきおって。」 「あ、ごめん。」 およそ女王への口の利き方とは思えないような気安い態度で謝るアリスに、ビバルディは目を細める。 「別に謝れと言っているわけではない。ただそなたにあやつの辛気くささが伝染ったとなると捨て置けぬがな。」 あやつ、が誰を指しているか正確に読み取ってアリスは苦笑した。 時計塔の主にして、アリスの旦那様、ユリウス=モントレーはこの世界の住人に言わせると辛気くさい仕事の従事者らしい。 「伝染ったって、病気じゃあるまいし。それにユリウスは辛気くさくはないわよ?・・・・ちょっと嫌味っぽくて暗いけど。」 「それを辛気くさいと言うのではないのか?第一、ちょっと嫌味っぽいなどという可愛らしいものではなかろう。」 ビバルディの指摘に微妙に反論できずアリスは口許を引きつらせた。 そんなアリスを見ながらビバルディは呆れたように言った。 「まったくそちも物好きじゃな。あんな引きこもりの嫌味男を選ぶとは。」 「うーん・・・・でもユリウスは表面上よりずっと優しいわよ?」 「ほお、お前には優しいのか。」 そう言ってビバルディが獲物を狙う猫のように目を細めたので、慌ててアリスは話を変える。 (ビバルディに変な事いうなってユリウスに言われてるしね。) 「えーっと、まあ、引きこもりって言うのは否定しないけど。」 「時計屋が引きこもりでないなどという者がおったら目がおかしいか、感覚がおかしい。」 当たり前のように言われてアリスは笑った。 「うん、まあそうよね。年がら年中時計塔に籠もりっぱなしだし、仕事以外では外出したがらないし。」 「そうであろうな。時計屋に外で会うことなどありえん。」 「うーん・・・・でもね。」 会話を切ってアリスは紅茶のカップを持ち上げ口許に運ぶ。 同時に香る芳香を楽しみながら、アリスは悪戯をした子どものようにくすっと口諸を緩めた。 「それについては、努力はしてるのよ。」 「努力、とな?」 聞き返してくるビバルディに微笑み返して、視線を空に滑らせる。 気まぐれな時間帯はまだ夕方の緋色を消し去る気配はない。 (時計塔を出たのが3時間帯前だから・・・・) 「・・・・そろそろ、かな。」 「なんじゃ?」 不思議そうな顔をしたビバルディに、アリスは含んだ笑いを浮かべて声を潜めた。 「ここにお茶しに来てるのが努力なの。」 「?」 「実はね・・・・」 ―― 継いでアリスの言った言葉に、ビバルディは少し驚いた顔をして、それからアリスと同じく悪戯っぽく笑った。 気まぐれな時間帯が夜に変わる頃、アリスはハートの城の庭を早足で歩いていた。 あの後、わりとすぐにお茶会を解散してハートの城を出たのだが、ペーターに捕まってしまったのがまずかった。 (あの、変態ウサギ!おかげでこんな時間になっちゃったじゃない。) なんとか逃げ切ってきたウサギ耳の青年を毒づきながらアリスはハートの城の庭をどんどん進む。 初めて来た時は迷路のようだと思った庭ではあるが、何度か来れば最短の抜け方もわかるようになる。 その道を辿りながら、ハートの城の門までたどり着いて門番に挨拶をして城を出る。 そうして、城の前に広がる森の道を数十歩進んだ所で ―― アリスはぴたりと立ち止まった。 月が照らすだけの心細い道の真ん中でアリスはくるりと周りを見回して、言った。 「お待たせ。」 静かな道にアリスの声だけが響く。 返事はない。 ないけれど、アリスには確信があった。 だから動揺もなくもう一度、今度は少しだけ甘さを秘めた声で呼ぶ。 「いるんでしょ、ユリウス。」 「・・・・居なかったらどうする気だったんだ。」 数秒の静寂の後、それを破った不機嫌そうな声にアリスは満足そうに微笑んだ。 声のした方を振り返れば、腕を組んだユリウスがばっちり眉間に皺を刻んでアリスを見ていた。 「もちろん、そんな事考えてもなかったわよ?」 にっこりと笑ってそう言うと、ユリウスは心底呆れたようにため息をつく。 「お前なあ」 「だって来てくれたでしょ?」 お説教か小言にでも突入しそうな言葉を遮ってアリスはユリウスを覗き込む。 その勝ち誇ったような表情に一瞬ユリウスは口許を引きつらせ、それから視線を外してぼそっと言った。 「・・・・あんな書き置きを残していなくなって・・・・来ない方がどうかしている。」 「ふふ」 思わず笑いが零れてユリウスに思い切り睨まれたけれど、アリスにはほとんど効果はなかった。 それはそうだろう。 ユリウスがここにいる、ということはアリスの作戦勝ちであり、同時に極上の愛の言葉と同じ意味を持つのだから。 「ね、ユリウス。」 「・・・・なんだ。」 「私が出て行くかもって、不安になった?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前も大概性格が悪いな。」 片方はしかめ面、片方は会心の笑み。 けれど、答えの代わりにそっと繋がれた手が気持ちが繋がっている事を表しているようで。 「帰るぞ。」 「うん。・・・・ねえ、ユリウス?」 「ん?」 「時々、外出してくれたらこんな意地悪しないわよ?だって」 言葉を切って手は繋いだままにユリウスを見上げたアリスは、さっきとは違うどこかくすぐったそうな笑みを浮かべて言った。 「私の居場所は時計塔・・・・ユリウスの所ってもう決めてるんだから。」 その言葉にユリウスは固まったようになっていたしかめ面を少しだけ緩めて・・・・。 「善処する。」 「よろしい。」 わざとらしい尊大な口調にユリウスは苦笑し、アリスは笑って。 ―― 月明かりが照らす帰り道を、二つの影がゆっくりと歩いていった。 数日後、仕事場兼住居でもある部屋を掃除していたアリスはユリウスの机の上からひらりと落ちたメモを拾い上げて微笑んだ。 握りつぶしたような跡のある紙の切れ端の上にはアリス自身の筆跡で一言。 『ハートの城へ行きます』 「意地悪してごめんね。」 悪戯っぽく呟いてアリスは、引きこもり男も引っ張り出す魔法の呪文にキスをした。 〜 END 〜 |